特別対談 竹村慎治×大木トオル
東京日本橋生まれ。1967年、音楽活動を始め、1976年渡米。現在セラピードッグの育成のバイオニアとして世界へセラピードッグ(動物介在療法)の普及を二十年に渡り行い、障害者施設、老人施設等にて活動を続けている。米国ニューヨーク州老人ホームでの活動や、日本に於いても東京都中央区の公立施設を始め、岡山市(民営)5施設などで活動し、多くの成果を出し各地で実施している。国際セラピードッグ協会代表、 ユナイテッド・セラピー・ジャパンINC代表
日本の愛護動物を関する法的位置づけをみてみると、議員立法による1973年制定の「動物の保護及び管理に関する法律」、さらに同法の一部改正を行って1999年に成立した「動物の愛護及び管理に関する法律」(動物愛護管理法/2000年12月施行)を経て保護義務が明文化されてきたが、その実態は欧米の動物愛護文化に相当遅れを取っていることは否めない。
そういう状況の中にあって、音楽家として音楽活動を行う、ライフワークとして高齢者や障害者を支えるセラピードッグの育成およびセラピー活動を行い、日本にセラピードッグを認知かつ根付かせたのがブルースシンガー・大木トオル氏である。
アメリカに音楽活動の拠点を置いて日米を中心に活躍、世代を超えて数多くのブルースファンを魅了し続ける一方、ライフワークのセラピードッグの育成に関しても、6年前に設立した国際セラピードッグ協会の代表として活躍している。動物との共生共存をテーマとする大木氏にセラピードッグを中心に話を伺った。
1. 国内で初めてセラピードッグとして訓練
――まず、始めに、ブルースシンガーとして日米で活躍している音楽家が国際セラピードッグ協会を設立するに至る経緯について、その背景を踏まえて簡単にご説明いただけませんか。
大木 : 私はアメリカに移住して今年で30年、音楽家として40周年を迎えるのですが、ご質問のように『なぜブルースシンガーがセラピードッグに関係するようになったのか』とよく聞かれます。セラピードッグとの関係をお話する前に、犬との関わり合いをちょっとお話しますとね、私は子どもの頃、吃音障害があったのです。人とうまくコミュニケーションができず、非常に苦しんだ時期があったのですが、そのときに心を癒されたのが我が家にいた雑種の犬でした。愛犬が唯一の話し相手でいつも犬を抱きしめていたものです。また、ラジオのFEN(米軍放送)から流れる音楽をいつも聴いていまして、FENから流れる歌を口ずさむと不思議にどもらない。私は犬に心をケアされて、歌で吃音障害をクリアしました。私はいま音楽を職業とし、セラピードッグをライフワークとしているわけですが、そのルーツを遡れば、そうした実体験が背景になっています。
そんな背景があって、セラピードッグに関わるようになったのはアメリカへ移住してからです。アメリカはセラピードッグを早くから取り組んでいまして、約60年の歴史があります。医療の現場や高齢者施設、障害者施設でセラピードッグが動物介在療法として活躍しているのを見て、これはすごいと思い、これをライフワークにしようと思ったのがセラピードッグに関わるきっかけです。ちなみに、アメリカという国は自分の職業に加えてもうひとつ、ライフワークとして何をしているかが非常に問われる。職業としてどんなに成功してもそれはそれだけの話です。人間的な取り組みとして何を行っているのか、そこが価値観のひとつとして問われるのです。私は犬に助けられたという強い記憶が残っていて、それに獣医になりたかったくらいで犬に関してはスペシャリストだと自負していましたから、セラピードッグの活躍を見て、職業として音楽家、ライフワークとしてセラピードッグに携わって社会貢献を行いたいと考えたのが原点です。そして15年前、捨て犬のチロリと出会ったのが、その後国際セラピードッグ協会を立ち上げる原動力となり、いまに至る出発点となりました。
チロリからもらったたくさんの愛情や希望
――チロリは銅像が建てられている日本のセラピードッグの先駆けに位置づけられる名犬ですよね。
大木 : そうです。日本のセラピードッグ第一号としてニュースに流れ、物語として童話にもなり、亡くなって銅像が建つほどすばらしい犬です。チロリとの出会いは私に大きな転機をもたらしてくれました。そのチロリは千葉県松戸市内の生ごみの中に捨てられていた犬です。5頭の子犬を産んで捨てられていたところを私が引き取り、子犬たちはそれぞれ里親に出し、母犬のチロリを私が面倒を見ることにしたのですが、あの子の能力を感じ取って、私が国内で初めてセラピードッグとして訓練したのがチロリです。そして、ご存知のように人々に感動を与えるセラピードッグになってくれました。チロリは日本のセラピードッグ第一号ですが、私はチロリから計り知れないほどたくさんの愛情や希望をもらい、チロリの活躍があってこそ、国際セラピードッグ協会の設立に向けた基礎づくりができましたし、動物愛護管理法成立に向けた環境づくりができたわけですから、私がチロリを助けたのではなくて、実は助けられたのは私の方です。